
旅中に知り合った日本人以外の人から聞かれるよくある質問の一つに
「キミの宗教は?」
というものがある。
そんな時、オイラは
「ブッディスト(仏教)」
と答えていた。
いや、それは単に、
無信教って答えると、ほぼ100%の確率で「なんで?」って突っ込まれるから、
そんな小難しい説明を英語でやりたくない
っていう単純な理由があるからで、
オイラ自身が、仏教を信じているワケじゃない。
が、ずっと続いていたキリスト教圏、イスラム教圏から
久々に仏教圏に突入すると、
なんか仏教的なものに過敏に反応するようになった。
以前はまったく興味がなかったのに、
<瞑想>的なものに、猛烈に興味を抱いたりして。
不思議なものだ。
やっぱり、オイラの中には無意識に仏教的なものが根ざしていたのかもな、
なんて思ったりする。
さてさて、そんなオイラの興味を察したジュンちゃんに誘われ、
スクムビット駅の近くのホテルで、
在住日本人向けに、毎週土曜日行われている
日本語を喋れるタイのお坊さんによる<瞑想>クラス(無料)に一緒に参加してみることに。
テーラワーダ仏教を信仰するタイでは、修行僧と、一般人は基本的に全く違う場所で違う生活を送っている。一般人が修行僧を尊敬し、支え、修行僧は悟りに向かって修行をしている。同じ仏教でも日本の仏教とはちと違う。まずは、お坊さんによる瞑想の方法についての解説から始まった。
ヘソから指二本上くらいの位置にあたる体の中に
水晶玉のようなものをイメージして、
そこに意識を集中させてください、とのこと。
雑念が払われた状態になればOKらしい。
なるほど、
<瞑想>とは集中するってことなのか。
だとしたら、自転車で走っている時、
走ることに集中しすぎて、
時々周囲が真っ白になり、無心になる時があるのだが、
それが瞑想状態なのかもしれない。
と、この時オイラは思った。
<瞑想>について分かったつもりになった。
そして1時間半の瞑想クラスが終了。
終わった後、
お坊さんと直接一対一でお話する機会があったので、
今自転車で世界を旅をしていて、
自転車に乗っている時、時々無心になる時がある、
と言う話をお坊さんにしたところ、
「いいですね。それは瞑想の入り口に立ててるってことです」
という答えが返ってきた。
え?瞑想の入り口・・・?
ということは、まだまだ先が?
「ええ。それは心を留めることに成功した状態だと思われます。瞑想とは、その後、中へ入ることなんですよ」
なんだ、分かったつもりになったケド、瞑想とはまだオイラの知らないものなのか・・・
では、中ってどんなところなんですか?
「中とは、空<クウ>の世界のことです。有るワケではなく、無いワケでもない、そのちょうど中間の世界です。そこに入るとこれまでとは違った世界が見えるようになります」
と、ここで、偶然再会し一緒に瞑想クラスを受けていたマサオくんが
「僕は瞑想をやるようになって、世の中が反転して見えることがあるんですけど、それですか?」
とお坊さんに問い、
「ええ、いい感じですね」
と言われていた。
モロッコのメルズーガで一緒にラクダに乗ったマサオくんと、偶然この瞑想クラスで再会。「ヨシさんですよね?」と声をかけられてビックリしたその言葉を受け、なるほど、では僕もそうなるようにがんばればいいんですね、
と言ったら
「いや、あなたは絶対そこには辿り着けません」
とお坊さんが言うじゃないですか。
え?なんでですか?
しかも、絶対なんて・・・なんで言い切れるんですか?
と聞いたら、
「そこへ行きたいという欲が出たからです。欲とか煩悩を捨てて初めて辿り着けるんです。がんばってはいけないんです。そこへ行こうとするから行けない。望みとは、望むからかなえられなくなるもの。これが、お釈迦様の教えです」
とのこと。
う~む、なるほど。
分かったようなワカラナイような・・・
さらにお坊さんは優しい顔で、
「中の世界はいいですよ。実は中の世界は外の世界よりも広大で興味深いことばかりなんです。中の世界に入れるようになれば、世界旅なんてする必要ないんですよ」
と、オイラの旅を全否定(笑)
こんなことを言われたら、
やっぱりスピリチュアルな話はワケワカランわ!
と以前のオイラだったら思っていただろう。
でも、今のオイラはなんだか言われていることの真意が分かる気がするのだ。
お坊さんの言っていることを抽象的なスピリチュアルなこととして
捉えると、ワカラナイ話になるのだが、
自分がやっていることや追い求めていることに
置き換えて考えると、分かりやすい。
この瞑想クラスの後、オイラはお坊さんの言葉を太鼓修行に置き換えて考えてみたんです。
インドでタブラーの師匠に、力を抜くべしと常に言われてた。
叩こうと思って頑張れば頑張るほど体に力が入り、逆に叩けなくなる、と。
これって、お坊さんが言っていた、中の世界に入れる入れないの話と一緒じゃないですか。
また、バラナシで太鼓修行中は、
宿と師匠の家と近くの食堂という3地点を行ったり来たりするだけの
一見単調な生活をしていた。
でも、毎日違う世界を垣間見れて楽しくてしょうがなかった。
師匠が連れて行ってくれるリズムの世界は、
旅で見てきたあらゆるものより広大で刺激的で興味深いモノだったのだ。
これは、まさにお坊さんの言う中の世界そのものじゃないですか。
自転車では、まだ見ぬ空<クウ>の世界も、
実は太鼓修行では垣間見れていたのかもしれない。
・・・なんて、話をお坊さんに言ったら
「いえ、それは違います。あなたは分かってません」
ってまた言われるんだろうな(笑)
まぁ、それを確かめるために、次の土曜日も瞑想クラスに参加してみよっと。