
日本人のほとんどが知らない、そして関心がないと思われる国<トルクメニスタン>。
オイラ自身も、通り道でなければたぶん訪れなかった国だった。
実際、あまりにも関心がなかったため、当初は交通機関を使ってのワープを考えていた。
しかし、前にも書いたように、
タジキスタンに入国できるまで、時間ができちゃったため、
時間つぶしという意味で、走ることになったのだが・・・
この国はチャリで走って大正解だった。
めっちゃ楽しかった。
実はこのトルクメニスタンという国、
中央アジアの北朝鮮と言われている独裁国家。
ソ連時代にソ連中央から抜擢されこの地の大統領に就任したニヤゾフさんが、
ソ連が崩壊した後もそのまま独裁体制を確立し、
「神に遣われし民族の指導者」とまで神格化される存在として君臨。

そのニヤゾフ大統領死去後の現在、二代目のベルディムハメドフさんが大統領として、引き続き独裁体制を継続しているという。

いろんなところに飾られている大統領の写真
で、独裁国家にありがちな、
外国人入国を制限している国で、
観光ビザは特別なことをしないと下りない。
がんばれば、トランジットビザがなんとか5日だけもらえるという国なのだ。
そんな国なので、あまり情報もなく、
オイラにとっては、西アフリカの国々に続く、暗黒の地だった。
数少ない情報から勝手に想像するに、
人々は圧政に苦しみ、国民生活は荒んでいて、
出くわすであろうポリスは腐っていて、
絶対メンドクサイよ~、と思っていたのに・・・
いやはや、聞くと見るでは大違い。
道で出会うトルクメニスタンの人々は、
みんな明るく、フレンドリー
なんと、イラン以上に、陽気に絡んでくる人たちばかりだったのだ。

そんなビックリ国トルクメニスタン、
約500kmの道のりをギリギリの5日間で駆け抜けた
タイムトライアル旅の様子をお伝えしま~す。
8/31 トルクメニスタン1日目
■トルクメニスタン入国

いろいろメンドクサイと聞いていた国境だったのだが、拍子抜けするほどアッサリ通過。
無事トルクメニスタンの入国スタンプをもらえて、イミグレを一歩でたら・・・
世界が変わった。
これまで、コーカソイド系の欧州顔がメインだったのに、
ここからは、モンゴロイド系のいわゆるアジア顔の人たちばかりになったのだ。

ああ、アジアに戻ってきたんだと、めっちゃ実感が湧いてきた。

国境をまたぐだけで世界が大きく変わるという意味で、
この国境越えは、
合衆国―メキシコ、セネガル―モーリタニアに続く
衝撃国境の一つ。面白い国境ですよ、はい。
で、そうそう、
国境を越えてすぐにあった村で、
一人の少女が近寄ってきて、にっこり微笑みながら話しかけてきてくれた。
写真には撮れなかったけど、この少女が、谷村美月ちゃん似のめっちゃ美少女でして。
ちょっとだけ恋心がくすぐられてしまった。
う~ん、久々のこのドキドキ感。
いやぁ、やっぱり結局アジアンビューティーが好きなのかなぁ、オイラって・・・
■またもやトラブル発生(涙)

ラクダが歩く砂漠の地、
強烈な向かい風が吹き、
ガタガタの劣悪な道路状況の中、
なんとか頑張って走るオイラ。

それにしても・・・道に標識がない上、GPSがなくて、道がわからない。
なので、途中で出会う人々に道を聞きつつ走らねばならない。

しかしまぁ、これはこれで、大変だけど、人との絡みが結構楽しい。
これは、GPSがあったら、たぶんなかったであろう出会い。
道具はあったらあったで便利だけど、
こういう出会いやふれあいの機会を無くしちゃうんだよなぁ・・・
なんて思いながら、チャリを漕ぎ進めてた。
で、しばらく進んだ後、前方に、商店が見えてきたので、
何度目かの道聞きをしようと、チャリを止めたところで、
なにか、違和感を覚えた。
後部の荷物が何か足りない気がしたのだ。
よくよく見てみたら・・・
な、なんと、ダラブッカの上に乗せておいた予備タイヤが3本ともなくなっているじゃないですか!

タイヤをくくりつけておいたロープの片方が、
ブラ~ンと垂れ下がっていて、
明らかに、途中で落としたことを物語っていた。
や、やばい・・・
中央アジアを走りきるために、
わざわざイスタンブールまで、
エリコちゃんに、日本から持ってきてもらった大事なタイヤなのに。
あれがないと、中央アジアを走り切れなくなっちゃうかも。
つーか、無くしてしまったら、エリコちゃんに申し訳ない。
と思い、
慌てて、走ってきた道を戻ることに。
これまで向かい風で大変だった道なので、
戻る時は追い風となり、楽は楽だったのだが、
戻った道はさらに、もう一度向かい風の中走らねばならない。
それでも、見つかりさえすれば、苦労も報われると思っていたのに・・・
最後にタイヤを積んでいたことを確認した20km前の地点まで戻ったのに、タイヤは見つからなかった。
ああ、なんてこったい・・・
昨日のGPS盗難事件に続き、
今日はタイヤ紛失事件が起こってしまうとは。
ふふふ・・・
もはや、ショックとかそういう感情は湧き起こらなかった。
ただ、笑いがこみあげてきた。
ここまで、旅の女神さんは、
オイラに試練を与えたいのか、
面白い、受けて立とうじゃないか、と。
GPSなし、予備タイヤなしで、
この中央アジアを乗り切ってやろうじゃないか、と。
順調ではないがゆえにテンションが上がる。
旅のテンションの上げ方には、こういう盛り上げ方もあるのだ(涙)
しかし、タイヤを探すために費やした
往復40kmのロスが痛い。
ただでさえ、ギリギリの日程のタイムトライアル・トルクメニスタンなのに、これは、でっかいハンデを背負うことになってしまった。
果たして、走り切れるのか?
トルクメニスタン・・・
そして、トルクメは走れたとしても、その先の中央アジアは予備タイヤなしでいけるのか・・・
不安を抱えたまま、今日は適当な人目につかない場所で野宿。

9/1 トルクメニスタン2日目
■トルクメニスタン人ってこんな人たち
朝、走り始めてすぐ、通り沿いに食堂を発見。
朝飯を食べることにして入ってみたら・・・
めっちゃフレンドリーなおばちゃんに迎えられた。

そして、飯を食べていたら、
チャイ(お茶)を飲んでいるおじさんたちが声をかけてきた。

ふ~ん、トルクメニスタンの人たちって思っていたより明るくてフレンドリーな人たちもいるんだな、と思ったのだが、
朝食後、走り始めてすぐに、
<明るくてフレンドリーな人たちもいる>ではなく、
<明るくてフレンドリーな人たちばかり>だと、認識を改めることになった。
走り始めて1分後、
道端でスイカやメロンを売っているおばちゃんたちに呼び止められた。

全然言葉が通じないのに、
ひたすら、ロシア語かトルクメニスタン語で話してくるおばちゃんたち。
とにかく気合だけの力技コミュニケーションをしてたら、
メロンをプレゼントしてくれた。

おばちゃんたちに感謝の意を告げ別れてすぐ、
今度は、道端のおじちゃんたちに声をかけられ、
これまた言葉が通じない中、力技コミュニケーション。

今度は、冷たいジュースをいただいた。

今日は、そんな出来事ばっかり。
うむむ、トルクメニスタンの人たちって、
オイラが想像していたのとは全然違ってた。
イラン以上に、明るくてフレンドリーで、親切じゃないっすか・・・
9/2 トルクメニスタン3日目
■スイカ畑の片隅で
昨日から始まったトルクメニスタンの人々の親切攻撃は、
3日目の本日も激しく続いた。
まず、道端のスイカ売りのおじさんたちに呼び止められ、
スイカをごちそうになる。

スイカで腹いっぱいになり、走り始めたら、
3軒隣のスイカ売りのおじさんたちにまたもや呼び止められた。
「いや、もう腹いっぱいなので」
と、スイカを食うか?というありがたい親切を気持ちだけいただき、
前進しようとしたら、チャイだけでも飲んでいけ、と引き留められ、結局しばらく、話し込むことに。

・・・と言っても、相変わらず言葉は通じないので、
気持ちだけの力技コミュニケーション。
と、沈黙しがちな時間を埋めるべく、
おじさんが携帯電話を取り出し、大音量で動画を再生しはじめた。
聞こえてきたのは、女性のなまめかしい喘ぎ声。
スイカ畑の片隅で、修正なしのアダルト動画を見る男4人。
シュールな光景です、ハイ。
■中央アジア流餃子に遭遇
しばらく何もない砂漠の中を走り続け、
夕刻17時半、Ravninaという小さな村に到着した。
ありがたいことに食堂がある。
時間的には、日没まではあと1時間くらいあり、もうちょっと走れるのだが、この先また何もない砂漠道であることを考えると、
今日は、もう、ここで、夕飯を食べ、
庭にテントを張らせてもらって休むことにした。
初日に40kmのハンデを背負ったものの、
その後のがんばりが効いて、なんとか間に合いそうな感じになってきているのだ。
ということで、食堂に入ったら・・・
なんと、ちょうど、おばちゃんが、
小さな餃子らしきものを作っていた。

料理名を聞くと、「ペリメニ」だという。
そう、ロシア風餃子、ペリメニだった。
旧ソ連領だったこの辺は、
ロシア風の料理もよく食べられているらしい。

しかし、このちっちゃいペリメニでは
おなか一杯にはならないなぁって思っていたら、

それを察したのか、
オーナーのおじちゃんが
「マンティもあるぞ」と言って、
これから蒸し始めるといマンティを見せてくれた。
マンティとはいわゆる餃子。

おお、これを食いたい!
ということで、オーダーしたトルクメ風マンティ。

中には香辛料で味付けされた羊の挽肉が詰まっていた。
う~ん、美味いっ!
と舌鼓を打ったオイラであったが、
実は味以上に、このマンティの包み方の美しさの方が気になってしょうがない。
どうやって包んでいるのか・・・
分解しながら食べてみたのだが、よく分からず。
教えてほしいと頼んだら、
明日の夕方また包むから、それまで居たらね、と言われてしまった。
いや、トルクメでは、一日停滞するワケにはいかないんすよ
ああ、もっと滞在日程がもらえていたら・・・
餃子修行は、きっと、ここから始まっていただろうにな。
9/3 トルクメニスタン4日目
■犬までもが・・・
朝暗いうちに起き、出発準備。
時間がないトルクメニスタンでは、とにかく時間が惜しいため、
日が出たらすぐに走り始める生活を送っている。
と、まだ真っ暗中、
朝食の準備をしていたら、
匂いにつられてか、食堂の飼い犬二匹が寄ってきた。

オイラが食べようとするのを横取りしようとする二匹。
あまりにもウザいので、
ちょうど、昨日の朝買ってカチカチになってしまったパンがあったので、
それを遠くに投げ、二匹を追いやることに成功。
で、食事を終え、明るくなって走り始めたところ・・・
その二匹の犬たちが延々ついてくるじゃないですか。

5km走ってもまだ隣を走ってる。
10km走ってもまだ後ろをついてきている。
トルクメニスタンは、人だけではなく犬までもがフレンドリーなのか・・・
最初は、ウザいと思っていた二匹なのに、
ここまでけなげについてこられちゃうと、
なんだか可愛く思えてきてしまった。

が、さすがに15km走ったところで、
「もう、いいかげん、食堂に戻りな」
と、お別れの言葉をかけてみた。
すると、それを察してくれたのか、
オイラが走り始めても、お座りしたままとなった二匹。
「ワンワン」
次第に遠ざかっていく彼らの吠え声が、
妙に切なく耳に響くのであった。
■ムスリムの国なのに
犬たちと別れてしばらく走っていたら、
ようやく次の村に到着。
ここにはでっかいホテル併設のレストランがあった。
「こういうところでは、何が食えるのかなぁ」
とちょっと立ち止まって見ていたら、
従業員のおじさんが手招き。
行ってみると、なんと、豚肉の串焼きを焼いているところだった。

トルクメニスタンはムスリムの国と聞いていたのに・・・
そういえば、昨日夜お世話になった食堂には、
生ビールが置いてあった。

どうやら、旧ソ連の影響で、
ウォッカなどの酒も飲むし、豚肉も料理に使って食べちゃうらしい。
いやぁ、この辺はお隣のイランとは大違いなんだな。
ちなみに、出してくれた豚肉のシャクリキ(串焼き)には
ちゃんとカットされた玉ねぎが添えられていた。

ふむむ、この辺も、
生の玉ねぎをそのまま出していたイランとは大違いだ。
■女の子の制服が可愛い
朝、走っていると、学校に登校途中の子供たちとすれ違うことになる。
トルクメニスタンの学生はみな、一律の制服を着ている。
その制服なのだが・・・
女の子の制服姿がめっちゃ可愛いのだ。

ということで、その可愛い制服姿をぜひ写真におさめたくて、
近づいてきてくれた女の子たちに何度も頼んでみたのだが、
なかなか写真に撮らせてくれない。

近くで話してくれるのに写真はダメ~って断られる(涙)
やっぱりムスリムの国だからか、女の子の写真を撮るのは難しい。

男どもの写真は簡単に撮れるんだけどな。

■夢見る青年
今日も、いろんなトルクメニスタン人に話しかけられたのだが、
その中、車で走っている途中、わざわざ車を止め、
戻ってきて、ジュースと水をおごってくれた青年がいた。
カタコトの英語を話す彼とは、
ちょっとだけ会話ができたのだが・・・
そんな彼が、
「僕もいつか、キミみたいに世界を自転車で旅してみたいんだ」
と、目をキラキラさせながら語ってくれた。

トルクメニスタン人は、個人旅行をよくするのか?
海外へは出やすいのか?
などなど、聞いてみたいことは山のように湧いてきたのだが、
残念ながら、細かい話になると、言葉が通じない。
ああ、ハンガリーのアンダンテで沈没してた時、
ロシア語ペラペラのカオリさんからロシア語を習ってたコータくんと一緒に、
ロシア語を習っておけばよかったよ・・・
「中央アジアでは絶対ロシア語必要ですよ」
ってコータくんに言われていたのに・・・
しかし、こういうのって、自分が必要になるシチュエーションに追い込まれてようやく学習意欲が湧いてくるもの。
なかなか、前もって、とはいかないもんなんす。
9/4 トルクメニスタン5日目
■不思議な街並み
最終日、トルクメナバットとい大きな街に到着した。
基本的は砂漠の地に道が一本だけあるという
荒涼とした風景のトルクメニスタンだったのだが、
大きな街には、建物が立ち並び、それなりの街の風景となっている。
・・・いや、それなりの街の風景ではないな。
とても、奇妙で不思議な街並みとなっていた。

というのも、トルクメナバットは妙に計画都市的な整然とした造りになっていたのだ。
その風景は、日本でいうと、どこかのニュータウンのような雰囲気を醸し出していた。
人の生活感が消し去られ、綺麗なだけの、空間が醸し出す
奇妙な空気感。

走っている途中で見た小さな村々の、
厳しい生活環境ながらも、人の営みを感じさせる空間とは
真逆の空間が目の前には広がっていた。
このいかにも意図した都市設計は、
独裁者たる大統領のエゴの象徴のように見え、
この風景を見て、この国が独裁国家なんだということをようやく感じることができたのであった。
■走りきれたぜ、トルクメニスタン
午後15時半、トルクメニスタンとウズベキスタンの国境に辿り着いた。
最初にハプニングが起こり、
大きなハンデを背負うことになったのだが、
結果的には、まぁ、なんとか走り切ることができた。
そして、トルクメ走りをしている最中に、
起こったトラブルのことなんて、いつの間にか気にならなくなっていた。
楽しさと・・・そして、とにかく走らなきゃという
走ることだけを考えさせてくれたタイムトライアルな条件が雑念を忘れさせたのだろう。

ふぃ~、疲れた・・・
疲労困憊して通り抜けたトルクメの出国ゲートで、
緑の制服を着た国境職員のお兄さんが、
左手の親指と人差し指で作った輪に右手の人差し指を突っ込むゼスチャーをしながら聞いてきた。
「トルクメの女性はよかっただろ」
いやいや、見てわかるとおり、こちとらチャリ旅。
ひたすら走り続けなきゃいけないトルクメニスタンでは、
そんな時間も体力もないっつーの。
そんな話題を振ってくるのなら、
もっと滞在ビザを伸ばしてくれ、
と、答えるオイラであったが・・・
まぁ、写真を撮るのでさえ、撃沈し続けた
トルクメの女性とのコンタクトですから。
少々、滞在日数を延ばしてもらったところで、
その上を狙えるとは思えない。
それにしても、確かにタイプの女性は多かったんだよなぁ・・・
ん、いや、この思いは、久々にアジア顔女性にいっぱい出会ったことによる幻想ってこともなくはない・・・
ん~、そもそも、こういうことを考えること自体がオイラにとっては久々で珍しい。
なんか気分がうわっついてる。
とにかく、ようやく帰ってきたことを実感できたアジアの地。
なんか、周囲がアジア人顔だらけっていうことに懐かしさを感じつつ、なんだか照れくさい、それでいて興奮気味、という不思議な感情が湧き起こってます、ハイ。

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タイヤは結局見つからなかった???