
「マニー、マニー」
またメンドウな声が聞こえてきた。
おととい出発したワンから、本日到着したドゥバヤズットまでの山岳道、
このあたりでは道沿いで牧羊がなされているのだが、
その羊たちを操っているのは主に日本で言う中学生~高校生くらいの少年たちが多い。

そんな少年たちは、チャリで走っているオイラを見かけると
必ず寄ってきて、
「マニー、マニー」
と言って、お金をせびってくる。
小学生以下の羊飼いの少年もいたりするアフリカか、ココは。
って、いや、アフリカの方がまだ、
挨拶としてギブミーマネーと言っている感があった。
子供たちが笑顔で言ってくるから、愛嬌があった。
それに対して、ここの少年達は目が笑ってないし、たちが悪い。
そのまま無視して走り去ると、
罵声を浴びせ、石を投げてくることさえあるのだ。
今回も、一人の少年がしつこくマニーと言って寄ってきたので、
無視して通り過ぎようとしたら・・・

次の瞬間、
左腹に痛みが走った。
振り返ると、棒を振り上げながら
ものすごい形相で追ってくる少年の姿が見えた。
なんと、羊飼いの少年が羊を操る棒でオイラのことを襲ってきたのだ。
棒で打たれた腹立たしさと、
「ナゼ、お前はこんなことをするのだ?」という疑問が沸き、
ココは、対峙して、対話せねば、と一瞬思ったりもしたのだが、
目がイッちゃっている彼の表情を見たら、
ココは話し合いなんて成立しない、と判断し、
逃げねばやられる、と、力いっぱいペダルを漕いで逃げた。
追い討ちをかけるように、
石が投げられてきた。
この辺の山岳地帯に住んでいる人たちはクルド人。
どうやら、こんな理不尽で暴力的な嫌がらせをしてくるのは、クルド人の少年達らしい。
クルド人・・・
紀元前6世紀の半ばに、クルド人の祖先とされているメディア王国が、ペルシャ人によって滅ぼされ、以後クルド人はペルシャ、アラブ、トルコ、モンゴル、ロシア、そしてイギリスやフランスによる分割支配を受けてきて、現在、クルド人は世界最大の「独立した祖国を持たない民族」だと言われている。
そして、トルコではクルドという存在自体が認められていない。
1923年のトルコ共和国の成立以来、トルコ政府は、トルコにはクルドはいない、いるのは「母国語を忘れた山岳トルコ人」だけだという姿勢をとってきた、とのこと。
クルド人は自分達はクルドであることを表明するため何度も抵抗運動を起こしたが、その度に、武力鎮圧を受けてきた、という歴史を持つ。
今も、この地域はピリピリしている。
実際、今日、一般道路を戦車が走っているのを二回も見た。
居ないとされながら、実は人口約1300万人もトルコ国内に居るクルド人。
トルコのもうひとつの顔だ。
確かに、東のこの辺は、これまでのトルコとは違う雰囲気を持っている。
虐げられた民族としてはユダヤ人くらいしか知らなかったけど、
世界にはまだまだ多くの虐げられた歴史を持つ民族がいるのか、
そんな過去があることを知り、
クルド人に対して同情の意を持ち始めたところだったのに・・・
この事件以降、
お前らがそんなことをするから、
嫌われるんだろ、だから、居ないことにされるんだろ、という
思いに変わっていった。
二つ前のブログに書いた、カンガル犬によるバック強奪事件。
実際は温厚なカンガル犬がオイラを襲ったのも、
実は、牧羊をしている少年達がけしかけたからじゃないか、
なんていう話も聞き(真実かどうかは今となっては分からないが)、
ますます、彼らが嫌いになった。
そして、その後、
少年達を遠くに見かけると、
隠れるようにして走った。
一切関わりあいたくなかった。
牧羊の集団を見つけると、、
反対の車線の方を走ったり、
とにかく、少年達から避けるように避けるように走るようになってしまった。
緑に染まった美しい山岳の峰が続き、
風景は絶景だというのに・・・
走りがまったく面白くなくなっていった。

なんで走っているんだろ?
久々に、哲学的な疑問が頭に沸いてモヤモヤしてきた。
そんな、モヤモヤした気分で到着した峠の頂上で、
休憩をしていたトラック運転手3人組に呼び止められた。

チャイをご馳走してくれるとのこと。
え?今はラマダン中でしょ?と聞くと、
「俺たちは、クルド人だから」
と、リーダー格のサンダールさんが言う。
え?あなたたち、クルド人なんすか?
一瞬でオイラは警戒モードに切り替わった。
が、陽気な3人は、そんなオイラの警戒モードなんて気にもせず、
トラックの車内へ招き、電気ポットでお湯を沸かし始めた。
しかし、まぁ、絶好のチャンスではある。
この際だから、いろいろクルド人について聞きたかった。
なんで、少年達は、マニーマニーと連呼するのか、
そして、それを無視するとなんで、逆切れするのか、とか。
でも、クルド語かトルコ語でしか話してこない彼らとはどうしても意思の疎通が出来なかった。
理解したいのに、理解できない。
「チャイ、チョクギュゼル(お茶、美味しいです)」
という小学生レベルの会話しかできない、自分の語学能力が悔しい。
と、ここで、彼らの仲間の一人のおじさんがトラックに乗り込んできた。
そして・・・しばらく彼らに交じって話していたおじさんが突然歌を歌いだした。

「クルドの歌だ」と、サンダールさんが説明してくれた。
あ・・・
伝わってきた。
聞き飽きるほど聞いていたトルコの歌とは違う、
哀愁溢れる、それでいて力強いおじさんの歌は、
クルド人が背負ってきた悲哀とさげすまれながらも生きてきた生命力を
感じさせてくれるものだった。
言葉が分からないと、相互理解は難しいが、
言葉はなくても、感情の伝達はできるのだ。
当たり前のことに、今更ながら気付かされた。
クルド人の少年達はメンドウだ、と
事前に聞いちゃっていたから、
なるべく関わらないでおこうと、思っちゃっていた。
そんなオイラの気持ちが、
感情として表出し、
そのマイナスの感情をキャッチしたあの少年が、
逆切れしたのかもしれない。
要は、あの事件は、オイラ側の気持ちが招いたことだったのかも。
走りが楽しくない原因は、オイラ自身が作っていたのだ。
おじさんたちと別れて走り始めたオイラ。
しばらく走ったら、目の前に羊の群れが見えてきた。
進行方向を変えずにそのまま走ると、
近づいてきた牛飼いの少年達が待ち構えていた。
「メルハバ(やぁ)」
と、出来る限りの笑顔で、彼らに話しかけた。
「メルハバ」
笑顔が返ってきた。