
インドは菜食主義だ。
話には聞いていたが、インドの人たちはマジで肉を食べない。
チキンカレーとかあるじゃん、と思う方がいると思いますが、
インド人はチキンカレーなんて食べてない。
インドでは、一般の人たちが集う食堂に入ると、
ジャガイモ、カリフラワー、豆、米・・・
肉なんて全く使っていない料理ばかり。
そんなインドに長居していると、
オイラも、自然とベジ料理ばかりを食べることになる。
いや、前回のインド訪問でバラナシで長期滞在していた時は、
日本食に逃げることが多かったので、トンカツとか普通に肉を毎日食べていたのだが(笑)
しかし、今回、スリランカ、そして、南インドで、本格的なカレー探求を始めたら、
現地食がめっちゃ美味しいので、
現地の人たちが食べている飯ばかりを食べてばかり。
自然と肉を食べない生活を送るようになってきたのだ。
で、肉を食べなくても大丈夫、という自分に気付き、
最近衝撃を受けたんですよ。
というのも、以前のオイラは、ご存知の通り、超肉食派。
毎食肉がないとダメだった。
そんなオイラだったから、
旅途中で出会ったベジタリアンの人たちの食生活が信じられなかった。
最初に出会ったベジタリアンは、
中米で出会ったアメリカ人チャリダーマックス。
一緒に飯を食った時、
「肉は食べないんだ」
と言い放った彼のことを異星人でも見るような目で見ちゃっていた。
肉を食べないなんて、人間の生活じゃない。
人生そんなに制限してどうするの?って思っていたのだ。
そんなオイラが、
まさか、「肉は食べなくてもいいんだ」という境地に辿り着くとは、
って我ながら驚いているんですよ。
いや、まぁ、そうは言っても、肉は肉で、食べれば美味しいとは思う。
別に嫌いになったワケではない。
美味しいと思う感覚は以前とは変わらない。
でも、以前は肉は絶対食べなきゃって思っていたのに、
今は肉は別にないならないでもかまわない、って思えるようになった。
それだけでも、決定的に以前のオイラとは違うでしょ。
・・・と、書いたところで、
日本で肉を何時でも食える生活をしている人たちには
ぽかーん、な話なんだろう。
「肉を食べなくても平気?そんな馬鹿な」
って、以前のオイラと同じような感想を抱くに違いない。
こういうのは、自分で実際に肉を食べない生活を1カ月も2か月もしてみないと、
感覚として実感できるようにならない。
で、こういうのを1カ月も2か月も実行するってのが、意外と難しい。
かく言う、オイラ自身、こんなことを1カ月も2か月も実行できているのは、
スリランカ&南インドに居るからだし。

これだけ立派なミールス(定食)にも肉はまったく使われていない。十分美味しいし、十分満足できる。
ここの環境が、「肉は食べなくても実は平気」ということを後押ししてくれているのだ。
「肉は食べなくても平気なんだよ」と言われ、
仮にその言葉に乗せられて、ベジ食にチャレンジしたとしても、
ココ以外でトライしていたら、途中で断念していただろう。
肉を食べない恩恵を感じれないだろうから。
ココ以上に、肉以外の食べ物が美味しいと思える場所はそうそうないのだ。
ココは、昔から皆がベジ料理だけで暮らしてきていて、
ちゃんと生きていけるベジ料理ってものが確立されているおかげで、
肉を使わなくても、十分美味しく、バランスもいい飯が食える。
だから、あえて肉を食わなくてもいいや、という気持ちになってくる。
結果的に、肉は食べなくても平気、という境地に至れるのだ。
無理してやれるものでもない。
そういうことを無理しないでやれる環境に入り込んで、ようやくできるもの。
スリランカ・南インドを実際この足で旅したからこそ、
菜食生活を無理なく体験でき、ベジタリアンを理解できたのだ。
旅をする意義は、体験を通じて得る実感としての理解。
ただ、その一点にこそある。
インターネットが発達し、世界中の情報が誰でもどこからでも瞬時に見れるようになった。
でも、それで世界中の人たちの相互理解が深まるか、
というと、そんなことはないと思う。
知るだけでは、分かれない。
世界は、体験しないと、分からないことだらけなのだから。
今泊まっている宿に、<食べない人たち>という本が置いてあったので、読んでみた。
食べないで生きていくという<不食>を実践する人の本だ。
ベジタブルすら食べない。
水すらとらなくても平気なんて書いてあるから、ビックリする。

実際に不食を実践している3人による体験記的な形式で綴ってあるのだが・・・
読んでいるだけでは、半信半疑。
「不食とは、厳密に何も食べないことではありません。物質的な食物の代わりに目には見えないエネルギーであるプラーナを食べています。プラーナは大気中に存在するだけでなく、宇宙のいたるところに存在しています」
なんて言われても、とても、なるほど、なんて思えない(笑)
でも、「食べないことに体が慣れる」とか
「むしろ、食べないことが気持ちよく感じられてくる」とか
「食事をすることが体にとっていかに負担を強いるかが分かってくる」とか
「食べ物への執着が薄れていくと、物事への執着も薄れてくるので、欲望のサイクルから逃れられるようになる」
といった話には、共感する点がある。
最近、たくさん食べることと、
それを調整するために食べないってことを繰り返す生活を送っているので、
<食べること>と<食べないこと>の利点と弊害が、
実感として分かってきたからだ。
不食の世界、食べないで生きれるなんて、
そんな馬鹿な、って今は思っているけど、
そういう未体験のことを怪しむ思いは、
自分がベジタリアンを理解する前にベジタリアンに対して思っていたことと同じ。
不食も、実は、やってみると理解できちゃう世界なのかも。
いや、不食に限らず、世界中のありとあらゆる「そんなバカな」と思っていることも、
自分がやってみると、意外と理解できちゃう世界ばかりなのかもしれない。
うん、きっとそうだ。
だって、そもそも、チャリでの世界旅だって、
以前は「そんな馬鹿な」って思っていたことだったのだから。
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「食べない人たち」を、実は以前読んでたんですよ。で、コメントしたくなりました。
最近、日本でもヴィーガン料理という言葉を聞くようになりました。プチ断食とかもありますよね。「食べない人たち」に出てくる3人は、それともまたちょっと違うんだけど。。。こういった世界は、興味があるけど、実行するのは、日本ではハードル高いですね。
インドに行ってみたくなりました。
まとまらないコメントで、すみません。