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ラジャスタンのウダイプルにあるシルプグラームで、
ラジャスタン音楽を聞いた時
「フラメンコに似ている」と思ったオイラ。

そう、フラメンコはもともとジプシー(ロマ)の音楽。
そのジプシー(ロマ)は、インド北西部の民が起源だという説があるのだが、
音楽を聞いていると、その説は正しいかも、と思わされる
と、以前のブログに書いたのはご存知の通り。

で、その説を具体的に立証しようと、
スペインからインドまで、
ハンガリー、ルーマニア、トルコ、エジプト、グルジア・・・
と、ユーラシア大陸の各地で撮影してきた
なんだか似ている音楽演奏をつなげたビデオを作ろうと思ってたんですよ。

そしたら・・・

やっぱり、そういうことを考えるのはオイラだけではないんですな。

すでに、作っている人がいました。

1993年にフランスで制作された
<Latcho Drom>というドキュメンタリー映画。



インドのラジャスタンの音楽から始まって、
エジプト、トルコ、ルーマニア、ハンガリー、スロバキア、フランス
それぞれの地で演奏し、踊り、歌うジプシー(ロマ)の人たちの音楽風景をつなげて、
最後にスペインに辿り着き、フラメンコで締めるという、素晴らしい音楽旅映像。

場所が移るたびに、その地の音楽に変わるのだが・・・
一つづきで見せられると、それらの音楽の相関性が感じられて、
まるで、長い一つの楽曲を聞いた気分になる。

ほら、やっぱり、ラジャスタンの音楽とスペインのフラメンコは繋がってんじゃん、
って思わされる。

さて、この映像で描かれている各地の演奏では、
オイラが苦労して見つけてきた珍しい打楽器たちも、続々登場。
冒頭で、少年が歌いながら打ち鳴らしている打楽器が、
オイラが衝動買いした木片カスタネット、カルタールだったり。
(トルコ編で壺ドラムが登場したのには驚いた。トルコにもあったんかい!?って)

いやぁ、まさに、オイラが見てきた演奏風景ばかりだったので、
思い入れが半端なく、食い入るように見ちゃいましたよ。

音楽ファンの人は必見。
ちょっと長いですが、
そうでない人も、旅に興味ある人なら、面白くみれるはず。
これを見ると、
ユーラシアってつながっているなぁ、って実感しますよ。

2015.11.15 Sun l インド l コメント (0) l top
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今日はいつもと通りの雰囲気がだいぶ違う。
実は今日はインドで最大のお祭りと言われている、デュワリの日。
太鼓がドンドン鳴らされて、あちこちで踊りまくっている・・・ってことはないのだが、
綺麗に着飾った女性や爆竹鉄砲を持った子供たちで溢れており、
プージャー(お祈り)用のグッズがいつも以上に並べられている。

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インドではデュワリが最大のお祭りって聞いてたから、
ホーリー以上に騒乱となるのかなと期待していたんですが・・・
人は多いが、町はいたって静か。
夜になっても、特に何が起こるって気配はない。
あちこちで火が炊かれていたり、
クリスマスのデコレーションのように建物がLEDでライトアップされていたりする程度で、
ちょっと拍子抜け。

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デュワリは光のお祭りらしく、いつも以上にライトアップ

どうやら、デュワリというのは、インドにおける年明けの行事とのことらしい。
そうか、だから、激しくはないけど、インド人の心としては最大のお祭りってことになるのか。

どういうことかというと・・・これは、日本人的に考えてみると、分かりやすい。
一年で一番の祝日は?と言われると、やっぱり正月って答えるじゃないですか。
で、気持ち的にはそういうことなんだけど、
イベントとして盛り上がるかというと、そうでもないでしょ。
正月って、どちらかというと、家族とマッタリ過ごす感じ。
外国人観光客が、日本の最大の祝日は正月らしいぞ、って聞いて正月に来ても、
町はいつも以上に静かで、アレッ?盛り上がってないじゃん、ってのと同じ。

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デュワリではいつも以上にスイーツが食べられる。スイーツ屋はどこも大賑わい。

デュワリも、そうなのだ。
年末の大掃除やら、買い出しやらで、町は賑わう。
年末のアメ横みたいな風景が繰り広げられている。
でも、太鼓や踊りがあるワケじゃない。

さて、夜、デュワリということで、
宿のおばちゃんがスペシャル・ディナーを振る舞ってくれた。
ふむふむ、こうやって、美味しい飯を食べながら家族でマッタリ過ごすものなのか、
年越飯を食べながら、光に包まれて、静かに過ごすものなのか、

・・・と、思っていたのだが、ここはインド。
そんなはずがない。

夜20時くらいから、突然騒々しくなった。
それまでたまになる程度だった爆音が、5秒おきくらいでなるようになったのだ。
何事?と、屋上に上がって外を見ると、あちこちの建物から火の手が上がっていた。
花火だ。
そう、光の祭りであるデュワリ、夜遅くに、花火で大騒ぎするお祭りだったのだ。

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でも、まぁ、それぞれ個人がやる花火でしょ?
かわいいもんじゃん、とお思いの方、
いやいや、何事もやりすぎなインドをなめちゃいかん。
インドの花火って半端ないんですよ。
火力が。
音は窓ガラスがビリビリ震えて割れてしまうんじゃないかっていうほどの爆音。
日本の花火大会で使うような大玉花火を、個人で打ち上げている。
プロ用花火も、1000ルピーも出せば、その辺の店で買えちゃうのが、インドなのだ。

そんな花火が、ほぼ全建物の屋上から、上がっている。
大花火大会。
なるほど、これは壮観だ。
インド最大の祭りと言われるゆえんが、分かったよ。

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とにかく、雰囲気が一気に変わった。
静かな雰囲気から、爆音の世界へ。
屋上から眺めていると、あちこちで花火が上がる様子は、綺麗なのだが、
なにしろ音がものすごいんで、怖い。
この花火たち、日本では絶対規制がかかって使えないくらいのものばかりだよ・・・

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そんな大花火大会、面白かったのだが、
1時間くらい見ていたら、飽きてきた。
インドの祭りって、
最初みているとテンションがあがるんだけど、
ずっと同じことを繰り返すだけだから、しばらくすると飽きてきちゃうんですよねぇ・・・
(リシケシに居る時やってた<ダシェラ祭>も、途中で飽きちゃって、最後の盛り上がり前に寝ちゃったし)

やっている方は、ずっと盛り上がれるんだろうけど、
見ているだけだと、どうしても。
やっぱりインドの祭りは、やる方に回るべきなんだろうな。
ホーリーがめっちゃ楽しかったのは、
あれは巻き込まれてやる方側にいっちゃったからなのだろう。

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花火を買ってきて、自分もやればいいじゃん、ってだけの話なんだけど、
今のオイラは、ホーリーの時のようなテンションになれない。
とにかくタブラで頭がいっぱい。
旅で一番、一つのことに集中している時なのだ。

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ということで、花火の爆音が鳴り響く中、オイラは部屋に戻って、太鼓練習。

さてさて、夜も深くなり、寝ようと思ったのだが、
花火が鳴りやまない。
ずっと、窓ガラスを震わす爆音が鳴り続けている。
当然眠れない。
時計を見たら、もう2時過ぎ・・・
ふおお、この祭りは一体いつまで続くんだ?

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2015.11.11 Wed l インド l コメント (0) l top
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そもそも、オイラが太鼓を始めたのは・・・
ギターを弾きたかったのに指が動かず断念したので、
代わりに、叩くだけでそれっぽく演奏できる楽器だったから。
まぁ、最初からそれなりに叩けちゃったワケなんですよ。
これが、いけなかった。
それなりに叩けちゃったから、その後、そのまま自己流を押し通してしまった。
基礎をちゃんと固めずに。
だからある段階から上手くなれないという壁にぶつかって、
ずっとモンモンとする羽目に。

太鼓が上手くなるには・・・
結局、ギターやピアノと同じように、
指や手首をちゃんと動かせるようにしなくちゃいけないのだ。
実は、楽器は何をやっても指や手首が重要。
これが、基礎なんですわ。
イスタンブールでナイル師匠がこんなことを言っていた
「前にピアニストがダラブッカを習いに来たんだけど、
彼女は、あっという間にダラブッカをマスターしちゃったよ。
指の動きの基本が出来ていたからね」と。

オイラが今まで太鼓をちゃんと叩けなかったのは、
テクニックを知らなかったからとかそういうことじゃない。
太鼓を叩ける体、太鼓を叩ける手ではなかったからだ。

ケシャヴ師匠に
「その固すぎる体をなんとかしろ。太鼓叩きの体じゃないぞ」
と言われ、
ヨガを取り入れた手首や指の柔軟運動をやるようになって、
ようやく太鼓を叩ける体になってきた。
以前より、格段にスムーズに太鼓が叩けるようになった。
こういうことが、大事だったのだ。

そういえば、日本でドラムを自己練習していた頃、
トップドラマーである村上ポンタさんの教則ビデオを見たことがあった。
そのビデオの冒頭で、ポンタさんが
「最初、スティックを握らせてもらえなかった。だから、まず、スティックなしでできることから始めたんだ。それは、ドラムを叩く体を作るということ。手の動きを筋肉とか意識して動かすことから始めて、ドラムを叩く体を作っていったんだ。これが大事」
みたいなことを言っていた(確か)。
今は、ホント、これが大事って思えるのだが、
当時のオイラは、その言葉の重要度が全然分かっていなかった。

また、高校の時、ブラスバンド部の太鼓隊の人たちが、
毎日ずっとスティックコントロールの練習ばかりをしているのを見て
「そんなことに貴重な青春の時間を使っちゃって」
なんて思っていたのだが、
実は、大事な青春の時間を無駄に使っていたのはオイラの方。
ああいういうことをやって体をコントロールする術を掴むことが、
高校生としては、大事なことだったのだ。
彼らはあれで、体を作ることの意味、基礎の大事さを彼らは実感していたのだろう。
今オイラが感じているようなことを、高校の時にすでに分かっていたに違いない。

ヒントはいろいろ転がっていたんだよなぁ・・・

でもね、こういうのは、ホント自分じゃ気づけないんですよ。
ケシャヴ師匠に強制的にひっぱってもらって、
高みに上ってきて太鼓の世界を見渡せるようになったから、
今になってようやく、気づけたのだ。

それにしても、高みから見える太鼓の世界は素晴らしい。
あ~、もっと早くこの世界を見たかったな。

と、オイラのように後悔しないように、
楽器をやろうと思っている人は、
手の動きを筋肉とか意識して動かすことから始めて、
まずは、楽器を弾く体を作るべし。

・・・なんて書いても、
オイラがポンタさんのアドバイスをスルーしたように、
このアドバイスも、スルーされてしまうんだろうな。
って、いや、こんな大事なことをスルーするのは、オイラだけか。

2015.11.09 Mon l インド l コメント (0) l top
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今日は、日曜日。
日曜日は師匠がインド人の弟子たちに教えなきゃいけないから忙しいということで、
タブラレッスンはお休み。

さて、これまでのオイラだったら、
「休みなんだからタブラー練習はほどほどにして、他にやらねばならぬことをやろう」
と、日記書きとかビデオ編集とか始めちゃっていたところなのだが・・・今は違う。
「休みなんだから、とことんタブラー練習をしよう」という気持ちなのだ。
これは、いい意味でオイラが変わったこと。

これまで、自分が一番やりたいことが打楽器だって分かっていたにも関わらず、
他にやらねばならないことがある、と
日記書きやビデオ編集などなどに時間を費やしてしまい、
結局、打楽器練習は時間が無くなったからやらずじまい、という状態がずっと続いていた。

それが、今や、とにかく時間があったら、まず打楽器練習。
(おかげで、日記やブログ更新、ビデオ編集が遅々として進まない・・・)
とにかく、打楽器練習が楽しくてしょうがない。
一日中やれちゃう感じなのだ。
ご飯を食べる時間がもったいないと思うほどの勢いで。

と、ここまで気持ちが変化できないと、独り立ちしちゃいけなかったんだ、と気づいた。
今まで、いろんなところで太鼓修行をしてきたのに、どれも身につかなかったのは、
練習できる体になっていないのに、旅を再開させていたから。
いつも「習ったことは旅しながら身につけよう」と、思っていながらも、
結局、できなかった。
ご飯を食べる時間がもったいないって思うくらいのめり込めるくらいになってないと、
旅しながら練習なんて、できやしないのだ。
なぜなら、旅はご飯を食べるのと同じくらい面白いから。

で、さらに・・・
そうか、これが、意識高い系の人と、本当に意識高い人の違いなんだ、とも気づいた。
これまでのオイラは意識高い系の人だった。
出来るようにならないのに「修行やってま~す」とアピール。
<修行をやっている自分>を見せたいだけの人、だ。
本当はちゃんと上手くなりたい気持ちがあるんですけど・・・と、言うのは勝手。
身につけるための復習練習をしなくて、行動が伴わないし、
やったことが身についてないから、修行をやっただけじゃん、ってことになる。

本当に意識が高い人は、
淡々と修行をするものなのだ。
修行の様子をアピールしている暇なんてないものなのだ。
そして、素晴らしい結果だけを見せてくれるものなのだ。

タイのジュンちゃんのところで「タブラ叩いて」と言われたのに、ちゃんと叩けなかった。
シンガポールのSKさんのところにもタブラを持っていたのに、やっぱり叩けなかった。
ジュンちゃんもSKさんも
「なんだ、できないんじゃん。習っただけの人か」
って思ったに違いない。
そう、あの時はこれまでと同じで、習っただけの男だった。
いつまでも習いはじめた状態から脱せない男だった。
悔しかったけど、だからといってどうすることも出来ない自分にまたもどかしさを覚えていた。

ちょっと前に、ネットでホリエモンが寿司職人の長い修行を否定してたじゃないですか。
ああいう修行否定ができるのは、才能があり、才能で生きて行けている人だからなんです。
擁護している人たちもそういう人たちばかりだと思う。

世の中には、才能がないのに、それが好きでできるようになりたいと思う人たちもいる。
そういう人たちにとって<長い時間をかけてやる修行>は必要なのだ。

ただ技術を教えてもらうだけで終わるのであれば、短期間でいいだろう。
才能がある人は、それで十分なんだろう。
でも、才能がない人は、
技術を教えてもらう以上のことを体得しなければ、出来るようにならない。
やり続けられる体にならなきゃ、独り立ちした後、続けられない。
そのやり続けられる体を作るのに、長い時間が必要なのだ。

以前のオイラだったら、ホリエモンの発言を肯定していただろうな。
でも、今は違う。

自分のことを、才能がある側の人間だ、なんて思っちゃっていたのが、
過大評価であり、勘違いだったんですわ。
タブラ修行で、出来ないことを突き付けられ続けたおかげで、
最近ようやく、自分が才能ない人間だって気づけた。
才能がないけど、好きで出来るように成りたい畑の人間だったんだって。

そういう人間は、時間をかけてちゃんとやらなきゃダメなんだって。

実は、まず、そこに気づくのにすら膨大な時間が必要だったりする。

オイラがやるべきだったのは、
自転車で世界一周するという面的な広がりで見聞を広めることではなく、
一か所に留まって点的なアプローチで深堀りすることだったんだろうな。
今なら、タイでお坊さんに言われたことの意味が分かる。
「中の世界はいいですよ。実は中の世界は外の世界よりも広大で興味深いことばかりなんです。中の世界に入れるようになれば、世界旅なんてする必要ないんですよ」
と言われた言葉の意味が。

2015.11.08 Sun l インド l コメント (0) l top
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これまでのブログだけだと、
第二回タブラ修行でも、叩き方しか教わっていないってな話になっているから(笑)、
そうじゃないってことを書いておかなきゃ。

一応、前回のタブラ修行で基礎は習い終わったんですよ。
ということで、第二回の今回は応用編。
他の楽器と合わせるということを前提に習っているんです。

インド古典音楽の流れとか、
それに合わせてタブラのリズムをどう展開させていくべきかとか、
そこで使われるリズムはどういうのがあるかとか、
リズムの崩し方とか、
トゥクラと言われるフィルイン的なものはどういうタイミングでいれるべきかとか、
毎日頭がパンクするほど、いろんなことを詰め込まれているんですわ。

で、習った伴奏奏法を実践練習するのに必要なのが、Laharaマシーン。

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実は、これと同じ機能を持ったソフトがiPhoneアプリにある。以前は、皆このデカいLaharaマシーンを脇に置いて練習していたらしいのだが、最近は、iPhoneを使って練習するのが普通になってきているらしい。

これ、メトロノームのようにリズムを刻んでくれるだけでなく、
なんと、シーケンサーのようにメロディーを流すことも可能。
まるで、誰かと合奏しているような練習ができるんですよ。
これと合わせて、自在に叩けるようになれば、一人前の入り口に立てるらしい。

・・・が、一人前になるまで、あと4年かかるそうで。
Laharaマシーン、長い付き合いになりそうだ。

2015.11.06 Fri l インド l コメント (0) l top
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第二回タブラ修行は、早くも9日目。
今日もいきなりまた叩き方を直された。
いまだに叩き方を直される。
まだまだ基礎すら出来ていないってことだ。
直されたのは、またもや<ナ>の音。

師匠の言っていることは最初から変わらない。
<ナ>の音を叩く時は、
薬指と小指の位置をココに置いて、
手の角度はこうで、
手首はちょっと下げて、
叩く時は指だけ、人差し指と中指をふり、
人差し指だけタブラーの端のこの位置にぶつけて音を出す、
と正しいやり方をずっと言ってくれていたんですよ。
今回も同じことを言われているだけ。

何度も何度も言われているのに、オイラは出来てこなかった。
言われた時には直すのだが、
自分だけで叩き始めると、叩きやすいやり方に崩れてしまっていた。
師匠が目の前で実践してくれ、さらにオイラの手の上で叩いてくれたりして、
事細かく教えてくれて「分かった?」と言ってくれる度に「わかった」と答えていたのだが・・・
わかってなんていなかったんですよねぇ。
アドバイスを聞いているようで、聞いてなんていなかったんですよねぇ。
だから、勝手に型を崩しちゃってた。

師匠の言う型の意味を理解するまで踏み込めず、
ただ、師匠のやる正しい型を真似ようとしていただけだったんです。
ホントの意味で分かってなんていなかった。
分からないから、型が崩れてた。

だから、いつまでたっても、上手く叩けるようにならなかった。
そして、それを悩んでいた。

が、今度こそようやく<分かった>。
何故いつまでたっても上手く叩けるようにならないのか、
前回からひたすら時間をかけて悩んだ結果、
今回師匠の言う正しい型が、なぜ正しいのかってのを、ようやくちゃんと理解したんですわ。

理解、そう、やっと真似ではなく、正しさを理解できたんですよ。
なぜ薬指と小指をここに置くのか、
手の角度、手首の角度はなぜこうなのか、
それらが<いい音>を出すためには、そうでなきゃいけないってことが分かったんです。

ケシャヴ師匠がいいのは、分かるまで根気よく教えてくれること。
同じことでも正しいことは何度でも言ってくれること。

分かっていない人間にアドバイスをしても、聞き入れないもの。
先人達が散々転んできた道があり「それをしたら転ぶよ!」と教えられても、
敢えてまたそこで転ぶ。
虚しいけど、それが人間のサガ。
そして、何度も転んで<やっと>気付けるようになるのだ。
アドバイスの意味を。

2015.11.04 Wed l インド l コメント (0) l top
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ポットキャストを聞きながら眠りにつくのが習慣になっているオイラ。
今夜はお気に入りの<行け!世界遺産と雑学の旅>というポットキャスト聞いていたところ・・・

世界旅を続けているんですけど、長い夏休みを過ごしているだけな感じで、
なにもつかめてない自分が居て、不安なんですが、どうしたらいいでしょう、
というようなメールの相談に乗った話をしていた。

オイラの場合、タブラー修行とカレー修行と餃子修行があるから、そういう悩みとは無縁。
特にタブラー修行で、人生の正しい頑張り方を掴めたので、
旅の意義を十分すぎるほど、実感している。
なので、幸せなことに、そういう<旅の無常観>とはかけ離れた旅になった。

何かを体得する旅をしてみれば、そんな悩みを抱えることはないのに、
なんてオイラなりの答えをつぶやいてみる。

けど、まず、何か体得してみたいって思えるものに出会えない人が多いんだろうな。
さらに、例え、修行旅をしたとしても、
<いい師匠>に巡り会えるかどうか、ってのも大きな問題となる。
オイラも、ケシャヴ師匠に巡り会えなかったら、
太鼓が中途半端なまま帰国することになり、
そしたら、「結局長い夏休みなだけでした」と、
旅の無常観に囚われていたかもしれない。

むむ、いろいろ考え始めちゃって、
なんかモンモンとして、眠れなくなってしまったじゃないか・・・

2015.11.03 Tue l インド l コメント (0) l top