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新洪記餃子館へ行ってみたのだが、ビルが工事中だった。
しょうがないので、新洪記餃子は諦め、
近くにあった、シュウマイの名店<馬家焼麦>へ行ってみた。
(ちなみに、この店ではシュウマイのことを焼麦と書くらしい。焼麦と書くのは、「病害を受けてまっ黒になった麦の穂は、伝染を防ぐために焼く。シュウマイが、その形に似ているところから」という説があるらしい)

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で、羊肉焼麦を頼んで、出てきたのがこれ。

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がっつり皮で包まれた蒸し焼麦たち。
皮がほとんどなく、ハンバーグ状態だった広東の焼売とは全然違う。
食べてみたら、これ、焼麦というより、蒸し餃子ではないですか。
そして、これは、どこか別の所で食べたことがある味のような気が・・・

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そうだ、中央アジアのトルクメニスタンやウズベキスタンで食べたマンティの味と同じだ!

ちなみに、馬家焼麦は、回族の人たちの料理らしい。
回族とは中国でイスラム教を信じている人たちのこと。
つまり、中央アジアと、宗教で繋がっているってことだ。
おそらく、イスラム商人づたえで、シルクロードを通り、
この焼麦が中央アジアに伝わって、マンティとなったのだろう。

しかし、だとしたら、気になるのが名称だ。
なぜ、中国ではシュウマイなのに、トルクメニスタンではマンティなのか?
マンティという語は、饅頭(マントゥ)が語源と考えられているらしい。
なのに、マントゥではなく、シュウマイと似ているとはこれいかに?

そういえば、韓国の餃子的なものが、マンドゥっていうのも謎だ。
調べてみたら、韓国の餃子的なものは、モンゴルから入ってきたとのこと。
・・・って説が一つと、それともう一つ説があった。

オイラ的には、そのもう一つの説に、ビビッときた。

小麦文化は、そもそもメソポタミアに起源があり、
そこから東へ広がったと考える、っていう説があるらしいのだ。

この説によると、
中国起源説とは逆の餃子ロードが存在し、
その餃子ロード経由で、韓国に伝えられたことになる。

確かに、オリジナルが、マントゥとかマンティという名でメソポタミアに存在し、
それが、東へ渡るにつれて名称変化していったって考えたほうが、
韓国にマンドゥというカタチで伝わっているのに関しては、腑に落ちやすい。

で、ここからはオイラの勝手な推測だが、
中国には、確かに、昔から餃子っぽい食べ物はあったのだろう。
(実際、紀元前、春秋戦国時代の遺跡に餃子の痕跡が残っていたらしい)
が、それとは別に、メソポタミアから発生した
マンティやマントゥという、小麦の皮で包む食べ物があったに違いない。
それが、イスラム商人などを経由して、東へ伝えられた。
中国に伝えられた段階で、
中国に古くからあった餃子や焼売と融合して名称変化が起こり、
またマンティやマントゥという名称そのものは、
饅頭という漢字に変え、
中国風蒸しパンになってしまったのだ。

どうですか?この説?

ふふふ、
最近は、餃子を食べながら、
そんなことを妄想するのが、とても楽しい。

2016.07.02 Sat l 中国 l コメント (0) l top

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